当館について
Aboutごあいさつ
茂木本家美術館は、キッコーマンの創業家のひとつである茂木本家が2006年に開館した地域貢献型美術館です。
創立者である十二代当主茂木七左衞門(1907-2012)は若い頃から美術品を蒐集してきましたが、これらの作品を多くの方々に鑑賞していただきたいという思いから美術館を設立しました。近世から現代まで幅広く蒐集した約4300点の収蔵作品には、葛飾北斎や歌川広重などの浮世絵のほか、横山大観、梅原龍三郎、小倉遊亀、片岡球子、大山忠作、中島千波の絵画などがあります。
当美術館は茂木本家が「くしがた」という独自のブランドでしょうゆを醸造していた工場の跡地にあり、茂木本家私邸、稲荷神社、キッコーマン本社に囲まれています。この歴史ある場所に、彦坂裕氏、上山良子氏にそれぞれ建築設計、ランドスケープデザインをお願いし、周辺地域と融合しながらも洗練されたデザインにこだわった美術館建築と景観を実現しました。
また、開館当初より地域貢献活動を強く意識しており、例えば地元の和菓子屋と一緒にオリジナルのお菓子を作ってカフェで提供したり、地域の小学生、中学生を対象とした「美術館へ行こう!プロジェクト」という教育プログラムなども実施しています。
野田に来ていただいて初めて感じることが出来る魅力がたくさんありますので、是非、足をお運びいただけると幸甚です。
公益財団法人茂木本家教育文化財団
茂木本家美術館館長
茂木潤一
ロゴマークについて
「くしがた」のマークは、茂木本家の商標の1つでした。「くしがた」は、京都御所の櫛形の窓から採ったものと伝えられています。
大正6年(1917)に、茂木本家をはじめとする茂木家六家と高梨家、堀切家が合併して野田醤油株式会社を設立した当初は、各家のマークをつけた醤油を併売していましたが、やがて当時もっとも人気の高かったキッコーマンの商標(二代目茂木七左衞門の時に分家した茂木佐平治家のマーク)に統一することになりました。
茂木本家美術館の設立にあたり、かつて茂木本家が使っていた「くしがた」のマークを、モスデザイン研究所の佐野寛氏が現代風にアレンジしました。また、茂木本家美術館を象徴するもう1つのマーク「MOMOA」は、MOGI-HONKE MUSEUM OF ART の略称をデザイン化したものです。
江戸時代から茂木本家の醸造した醤油に使われてきた歴史のあるマークが、現代において茂木本家美術館のマークとしてよみがえり、美術館の愛称「MOMOA(モモア)」と融合しました。茂木本家で永年大事にしている温故知新の考え方をまさに象徴するものといえます。
- VIデザイン
- 佐野 寛 Hiroshi Sano
株式会社 モスデザイン研究所
建築/ランドスケープデザインについて
美術館は茂木本家が「くしがた」というブランドで独自の醤油を醸造していた工場の跡地にあり、茂木本家の私邸、稲荷神社、キッコーマンの本社に囲まれています。この歴史ある場所に、彦坂裕氏、上山良子氏にそれぞれ建築設計、ランドスケープデザインをお願いし、周辺地域と融合しながらも洗練されたデザインにこだわった美術館建築と景観を実現いたしました。
- 建築設計
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彦坂 裕 Yutaka Hikosaka
建築家(JIA)、環境デザイナー、株式会社スペースインキュベータ主宰・代表取締役、上海視覚芸術院徳稲大師学院教授、SCアカデミー指導教授
<代表作>2005年愛知万博日本政府館、2010年上海万博日本館
<著書>『シティダスト・コレクション』(勁草書房)、『夢見るスケール』(彰国社)、『誘惑のデザイン』(繊研新聞社)
- <コンセプト>
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「最初期のイメージエスキス」
建築の基本となる考え方は、スーパースケールの地勢的・天文的世界への応答、周囲のランドスケープとの一体化した構成、多様な景観の創造、といった環境との相互流通性の重視である。展示物、展示景観からインテリア、建築、ランドスケープ、その外界のシームレスなつながりが重視され、外部と内部の北庭へと延伸する東西の重層する壁面による空間的「書き割り構成」により、建築それ自体が祠をもつ聖なる森の庭園への結界としている。
なお、色調は野田市の街がもつ基調色、建築の随所に使用された瓦は地場産のものである。
- ランドスケープデザイン
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上山 良子 Ryoko Ueyama
ランドスケープアーキテクト(ASLA)、上山良子ランドスケープデザイン研究所所長 、長岡造形大学名誉教授、前学長
<代表作>長崎水辺の森公園、大宮しましま公園、芝三丁目薩摩の道ほか
<著書>『場をつくる』(美術出版社)
- <コンセプト>
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茂木本家美術館では単なる庭を超えたランドスケープデザインを試みている。
稲荷神社と鎮守の森、茂木本家邸宅と屋敷林に隣接する敷地には、稲荷神社軸を基軸として全体が組み立てられた。柱廊によって表(敷地南側)と空気的な繋がりを持った裏庭(敷地北側)には、ゆったりとした芝生空間に、シンボル性の強い樹木を最小限数で配置。借景となる本家の板塀と屋敷林・鎮守の森を含め、歴史性と革新性の調和を目指した。